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山あり谷あり、笑いあり涙あり、そしてシリアスあり~の日記です
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悟天、ただいま。
やっとお家に帰ってきたよ。
3週間、ばぁばとお留守番してくれたのは悟天なの?
それとも、もう旅立ってしまったのかな?
悟天まだいるならお返事して。
悟天・・・感じられない。
ごめんね、四十九日も月命日も拝むことができなくて。
亡くなってから入院する日までずっと側にいてくれてありがとう。
元気になって、お金を貯めて、準備するから。
おかあちゃま頑張るから。
だからそれまでゆっくり休んでいてね。



みなさま、お久しぶりです。
先月末から突然プッツリとお休みしてごめんなさい。
あんなことを書いてから音沙汰なしで、もしかして・・・
なんて思っている方もいたかもしれませんね。
実はチチ、入院していました。
もともと体調は悪かったのですが、10月3日に倒れまして
寝れば治るだろうと家で休んでいましたが、高熱とめまい吐き気が続き
歩くのもやっとという具合だったので5日に当番医タクシーで行きました。
診察と検査の結果小さな内科医では対処できないと、市内にある
医大の付属病院へ今すぐに行くようにと手配してくださいました。
そして、即入院となった訳です。
付属病院でのことはあまり覚えていませんが、このままでは命に危険がある
ということで、とんでもなく高価な血清を二つも点滴されました。
しかしいっこうに良くなる気配はなく二日間ベッドでウンウン
うなされていましたが、この病院でももう対処しきれないということで
今度は救急車でM市の大きな病院へ転院となり、そのまま3週間の入院生活でした。
原因はよくわかりません。
薬のアレルギー?とショック症状ではないかとのこと。
要するに薬物中毒ですかね?
確かに風邪っぽくて喉が痛くて市販の薬を飲みました。それが原因?
先生のお話によると、身体が弱って免疫がかなり落ちているところに
慣れない合わない薬を飲んだりするとそうなる場合もある。とのこと。
場合によっては、死に至ることもあるらしい。
って、本当に死ぬところでした。
本心、このまま死んでもいいと思ったりなんかしましたが生きてます。
熱は40度、白血球24,400以上、炎症反応も30を超え、体中に発疹が出て
ショック症状で血圧は70を切りました。
ばぁばは先生に「覚悟してください」と言われたそうです。
自分で思っていた以上に疲れていたかもしれません。
悟天の具合が悪くなってから倒れるまで約2ヶ月、あまり眠れませんでした。
食欲は戻ってきたかな?と思っていましたが、以前のようには食べられません。
肉体的にも精神的にも限界だったかも・・・。

病院では悟天を感じることができなくて、淋しくて悲しくて泣いてばかりいました。
きっと私がいない間に旅立ってしまうんだろう。
ちゃんとお別れしたかった。
ちゃんと感謝の気持ちを伝えたかった。
最後までダメダメ飼い主だった。
淋しい思いをいっぱいさせてしまった。
それでもダメな私を一途に愛してくれた悟天。
ごめんね。
悟天のために元気になるからね。
頑張るからね。
悟天 愛してるよ。これからも・・・

思い出・・・
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無性に悟天に会いたくなった。
無性に抱きしめたくなった。

でも悟天の姿は何処にもない。

何日かぶりで泣いた。
「悟天、悟天、悟天・・・」名前を呼びながら泣いた。
久しぶりに声を出して泣いてしまった

私の体調が良くないせいもあるのかな?
最近ちょっとマイナス思考に入っています。
悟天悲しんじゃうね。
強くならなきゃ、頑張らなきゃ。。。
9月27日、あれから一ヶ月、初めての月命日です。

新しいお花を買いに、産直まで行ってきました。
今の時期は夏の花と秋の花が切り替わる時期なので、あまり種類はありませんが
近所のお花屋さんと比べると半分から三分の一位のお値段です。
悟天安いお花でごめんね、でも心がこもっているからいいよね?
そして、お写真も少し変えてみました。

月命日(9月27日)

和風のお骨入れに洋風のフォトフレームはやっぱり合わないですね。
実はまだフォトフレームも買っていません。花瓶も・・・
みんな間に合わせだけど貧乏なので我慢です。
大丈夫、それでもよいよ~って悟天が微笑んでいます。

あれから1ヶ月過ぎたんですね。
時の経つのは早いです。
あの日から4,5日は、自分でも驚くほど冷静に過ごしていました。
でも日が経つにつれ、寂しさと悲しみ、悔しさと憎しみと後悔が
一気に押し寄せ辛い毎日でした。
実際のところ、3週間ぐらいは感情の記憶はあるのですが、何をどう行動したのか
家では?仕事は?・・・まったく記憶がありません。
しかし、お友達からのメールや電話に励まされ、そして時の経つのと共に
だいぶ元気になりました。
心配してくださっている皆様、チチは大丈夫です。
コメントやメールをありがとうございます。
後悔は沢山あります。
これからもこのブログにグチグチ書くと思います。(思い出として)
ですが、私がいつまでもメソメソしていては悟天は心配で旅立てない。
安心して旅立ってほしいので頑張って前向きに・・・しっかりしなくちゃ。
まだ悟天はお家にいます。
旅立ちまであと何日後?何週間後?
姿は見えなくてもずっといて欲しい、ずっと悟天を感じていたい。
これが本心ですが、生まれ変わるためには旅立たなくてはなりません。
安心して旅立ち、なるべく早く私のもとへ帰ってこれるように、
私自身が日々精進し元気で待っていようと思います。
日々悟天に感謝しながら待っています。

悟天は自慢の息子でした。
いえ、自慢の息子です。
お家では我が儘放題で甘えん坊で寂しがり屋でへなちょこでしたが
お外では知らない人でもそつなくこなす外面の良い子でした。
身体や心が病んでいる人にはそっと寄り添い、お年寄りや赤ちゃんには
怖がらせないように尻尾を振りながら静かに近づく、そんな優しい子でした。
そんな悟天でしたが、本当は頑張ってお家を守っていたんだと思います。
今考えるとじぃじが亡くなってから悟天は少し変わりました。
夜寝るときは私の部屋でなければ寝ませんでしたが、いつの頃からか
玄関前の廊下で寝ることが多くなりました。
一人でお留守番する時の状態です。
最初は心配で心配でしょうがなかったのですが、毎日ではないし
夜遅くまで起きている私といるより、その方が落ち着くのかな?と
許しました。
結果、だいぶ前に別のブログに書きましたが泥棒を追い払ってくれました。
あの時悟天が玄関にいなかったらと思うと怖ろしいです。
思い出すとまだいろいろあります。
私がいないと何も出来なかった、何かあるとすぐに私の後ろに隠れるような
そんな弱虫悟天でしたが「男はボクひとり」と、勇気を振り絞って
じぃじの変わりにお家を守ってくれてたんだね。
じぃじ亡き後、ばぁばとお母さんを守らなきゃと我が家のボスになったのかもしれません。
ボスになった犬は早死にするそうです。
常に神経を使い群れを守っているので肉体的にも精神的にも疲れ
病気を引き寄せたりするらしい。
悟天もそうだったかもしれません。
頼りないおかあちゃまだったね。ごめんね。
悟天は勇敢で立派なボスでした。
身体を張って家族を守り抜きました。
胸を張って言える、本当に自慢の息子です。


自慢できるものといえば・・・悟天のお骨
真っ白でとっても綺麗でした。
火葬の時に立ち会ってくださった火葬場の職員の方が
「とっても立派な骨ですね、若かったんでね、事故ですか?」
とおっしゃるほど、焼け焦げてしまって崩れた箇所もなく
変色したところもなく綺麗な形のままでした。
頭お顔の部分も割れることなく可愛い悟天のままでした。
歯も一つ残らず犬歯もちゃんと付いていました。
そう、最後に台の上でお別れした時の形ままのお骨になってきました。
もっとも火葬して下さった職員の方が上手にしてくれたんだと思いますが。
でも「こんなに綺麗なお骨も珍しい」と言って下さいました。
病気で逝った場合、その部分が変色しているのはよくあることだそうですが
悟天は見事に真っ白でした。
病んでいた胸にも変色はなく、全体に白くて太くて立派でした。
頬ずりしたくなるほど綺麗でした。
火葬場の職員様、綺麗に火葬してくださってありがとうございました。
そして悟天、最後まで綺麗な悟天でいてくれてありがとう。
心から自慢できる立派で可愛い我が子です。
昨日はお彼岸の中日ということもあり、またよ七日なので
新しいお花と大好きだったおやつを悟天にお供えしました。

悟天が亡くなってからは、思い出よりも後悔でいっぱいでした。
悟天への感謝の気持ちよりも自分の愚かさと誤診した病院の先生への
怒りと憎しみが日増しに高まり、その事を考えると身体は震え、
心臓がドキドキ胸を打ち、何度もパニックになりかけました。
もしかしたら、もう少し・・・数日?数週間?数ヶ月?数年?
長く生きれた命だったかもしれない。
優柔不断な性格の私のせいで・・・
誤診をしたあの先生のせいで・・・
悟天のお骨の前で毎日謝り続けました。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、悟天ごめんね・・・」
こえたえてくれる悟天の姿はなく、どうやって罪を償ったらいいのか
後悔の念でいっぱいでした。
まだお家にいる悟天、たまに「カツカツ」と歩く音や身震いする音
寝息や気配を感じます。
もうすぐ本当の旅立ちの日を迎えます。
それまでに教えてほしい、どうやって償えばいいのか。


悟天は7月までは本当に元気でした。
ただ、6月初め頃から日に3回程度の乾いた小さな咳をし始めました。
近くのいつも行っている病院で診てもらいましたが心臓も異常ないし
わからないと言われ数日が過ぎ、咳も日に1,2回程度になり
勝手にアレルギーかもしれないと思い込んでいました。
(そのころ私も酷いアレルギーから気管支炎をおこしていたのです。)
でも気になり、知り合いのペットショップの方に相談しました。
「これはケンネルコフ(気管支炎)だね、なかなか治らないから
病院で吸入してもらった方が早く治るよ」と言われ
去年の秋に手術をした病院で診てもらいました。
診断結果はやはり気管支炎とのことで、飲み薬とネブライザーで治療していたが
数週間経っても咳は止まらず頻度は少ないが小さかった咳が大きくなってきた。
心なしか元気もない、大好きなパンもチーズも食べなくなったし、階段を上がる時も
いつもなら一気に駆け上がるのにゆっくり一段づつしんどそうに上がる様子に不安を感じ
慌てて病院に駆け込んだ。
私は状態をすべて説明したうえで思っていることを話しました。
「気管支炎じゃなくてたとえば肺炎とか肺の病気じゃないですか?」
「最近犬の肺ガン(転移)が増えてるらしいですが癌じゃないですか?」
「もしそうなら、治らない病気なら苦しまないようにお願いします」
そのとき先生は少し笑いながら「食の変化は年齢的なもの、人間もそうでしょ。
気管支炎だから心配しないでいいですよ。気管支炎から肺炎になることはありませんから。」
「炎症が酷くて少し長引いてるようなので注射を打って薬を変えましょう」
その時は少しホッとして帰ってきましたが、後で調べたら気管支炎が長引くと
肺炎になるということがわかりました。後の祭りでしたが。
それからというもの、相変わらずチーズは食べなかったが食欲も落ちずに
お散歩もしていて、少し調子が戻ってきたかな?といった感じでした。
私のお休みの日は遊びに行きたいと催促もするほどで、お友達を誘って
ハーブガーデンへ行ったりもしました。(これが最後のお出かけになりました)
しかしその数日後、悟天は夜寝なくなったのです。
寝なくなったというより、苦しくて眠れないようでした。
これはおかしい、やっぱり気管支炎じゃない、と確信しまた病院へ行きました。
このとき既に気管支炎の治療を始めてから1ヶ月経過していました。
検査結果は僧帽弁閉鎖不全症とのことでした。
初期の状態ですがお薬をはじめましょうと言われドキッとし
「心臓のお薬は内臓に影響すると聞いていますが初期で飲んでもいいのですか?
副作用はありませんか?」と恐る恐る質問してみたところ先生はキッパリと
「大丈夫です!問題ありません!」とおっしゃったので信じて了解してしまいました。
これが間違いの元、誤診でした。
お薬は心臓の薬と利尿剤を処方され、飲んですぐに悟天に変化が現れました。
益々眠れなくなり、苦しそうにハァハァと息づかいは荒く、目は真っ赤に充血。
今まで見たこともないほど真っ赤な目でした。
何か違う、間違ってる、心の中でそう感じました。
不安でいっぱいになりながら病院へ向かいました。
今度は利尿剤の影響で腎臓に負担がかかり、脱水と炎症があるということで
抗生剤の注射を打ってもらい、その後2,3日は抗生剤が効いたのか
状態も落ち着き少し眠れるまでになっていました。
しかし・・・
ある時突然震えだし一瞬硬直したのです。
「悟天!悟天!」と声をかけ一生懸命身体をさすりました。
白目は異常なほどに赤く、チアノーゼも出てもうダメかと思いましたが
その後は何事もなかったようにいつもの悟天に戻りました。。
通院日にそのことを伝えたら「甘えてるんじゃないですか?」と笑われ
不信感をつのらせ病院を後にし、おやつを選んで食べるようになっていた悟天のために
美味しい食いつきの良いビスケットを買おうとショップへ寄りました。
すると悟天の様子を見たショップの社長さんが異常に気づき
心臓ではないかもしれないから違う病院に行ってみたらどうかと
病院を紹介してくださいました。
その頃の私は仕事がとても忙しく時間にも余裕がない状況で
転院しようか迷っているうちに日はどんどん過ぎていきました。
そして悟天の状態が急変しました。
苦しくて睡眠が時間3時間ほどになり、急激に食欲も落ち下痢になったのです。
病院の先生は腎臓も悪いと言い、お薬が増えただけで、抗生剤は打ってくれず・・・
確かに悟天のBUNの数値はここ2年ぐらいちょっと高くなったり正常値に戻ったりを
繰り返していましたが、その他は正常で問題なく年齢のせいと言われていた。
実際このときの検査結果もBUNだけが高くて尿検査も正常でした。
腎臓の薬を飲んでも全く良くならず、すぐにまた病院へ。
「先生、利尿剤と心臓のお薬が影響しているんじゃないですか?」と
思い切って聞いてみました。
すると先生は「心臓と腎臓が悪いのは別のものです。利尿剤は肺水腫を防ぐため。
大丈夫だから。このままで、これでいきましょう」としか言ってくれませんでした。
ここに書いている以外にも何度も通院し何度も訴えたのに、あんなに訴えたのに
これ以上何も検査をしてくれない、やっぱり病院を変えたほうがいいかもしれない。
いつ行こうかと考えているうちに悟天は一切ものを食べなくなり、そして激しい下痢(血便)。
歩くのもフラフラです。
サーっと血の気が引きました。このままでは悟天は死んじゃう。
慌てて高速を飛ばして紹介された病院に行きました。
(気管支炎の治療を始めてから1ヵ月半経過)
これまでの経過と症状、処方されている薬のこと、思っていることや考えを全て話しました。
そして検査をして頂きました。
悟天の体調を気遣いながらのとても優しく慎重で丁寧な診察と検査でした。
この時どんな結果が出ても悟天がこれ以上苦しまなければそれで・・・
と覚悟を決めていました。
検査の結果、肺膿瘍と診断されました。
肺炎を長い間ほってるおいたため膿が溜まったのだそうです。
あぁーやっぱり肺だった、もっと早く来れば良かった。
診察台の上の悟天を撫でながら「ごめんね、ごめんね、おかあさんのせいだね」
何度も謝りました。
心臓は確かに僧帽弁閉鎖不全症だったようですが初期の初期で
雑音もごくわずか、聞こえるか聞こえないかの程度で肥大もなく
お薬を飲むまでもないまだ元気な状態だったそうです。
苦しくて眠れないのは肺の膿のせいもありましたが、それよりも飲まなくてもよい
心臓の薬を飲んだことによるものだそうです。
初期症状に使う薬ではない、強い薬でした。
そして何も食べられなくなったのは、強い心臓の薬と飲ませなくてもよい利尿剤の影響で
もともと弱っていた腎臓に負担がかかり数値が上がったためのものでした。
その日から利尿剤は中止し、抗生剤を含む数種類のお薬に切り替えました。
ただ一度飲み始めた心臓の薬は急に止めることはできませんでした。
でも少し希望の光が見えたような気がしました。
栄養を摂らなければいけないので無理にでも食事を摂らせて下さいと言われ
流動食を作り食べさせました。
朝早く起きて仕事に行く前に高速を使い通院しました。
数日後、悟天は眠れるようになり、日中はチャカチャカと動き、目の充血も幾分良くなり
おやつもご飯も食べられるまでに回復、治るかもしれないと期待していました。
しかしその思いも束の間、悟天はまた何も食べられなくなり、通院日より
一日早く病院で診てもらいました。
BUNの数値が異常に高くなっていた。
これも心臓の薬の影響ということで「早く薬を止めなければいけない。
方法を考えましょう。」と言われ、早急に考えてくれることになりました。
そして、状態がもう少し良くなったら肺炎になった原因を検査しましょうととおっしゃった。
実は膿瘍の他に癌の疑いもありました。
膿の奥に白い影が薄っすらとあったのです。
これが膿か癌かわからず、膿の影が薄くならないと調べられない。
悟天は昨年の11月にお尻にできた腫瘍の摘出手術をしています。
その時にこの手の腫瘍は良性なので検査はしませんと言われました。
あの時検査をしていれば・・・もしかしたら。
肺に転移した癌だったかもしれません。
咳をし始めたのが手術から丁度6ヶ月後。
今となっては推測にすぎませんが・・・
その日は、症状を良くするために少し薬を変更し1錠追加されて様子を見ることになりました。
点滴は肺に障害があるため毛細血管に影響するということで打てませんでした。
夜は12時頃まで苦しそうに起きていましたがその後病院に行って疲れたのか
眠ってくれました。しかし、ぐったりといった感じでした。
次の日は、朝から苦しそうでしたが、私が仕事にいた後はずっと眠っていたようです。
夜はなかなか寝てくれませんでした。
私の布団に何度も来て寝たかと思うとまた移動し、寝たり起きたりの繰り返し。
新しい薬になれていないからかな?と考えながら、私も疲れていたので
隣りで寝ている悟天をさすりながらつい眠ってしまい、ハッと気づいた時は午前1時。
やばい!急いでうつらうつらしていた悟天に夜のお薬を飲ませ、しばらく様子を見ていたが
我慢しきれずに寝てしまいました。悟天苦しくて心細かったよね。ごめんね。
朝は早く起きていました。あまりグッスリ眠れなかったようです。
やはり苦しそう、いつもと少し様子が違っていました。
歩き方がおかしい、何をするにも苦しそう、それでも私から離れず
トボトボフラフラと後を追ってきました。ずっと大きな瞳で私を見つめていました。
お水も自力で飲めないようだったので赤ちゃん用の薬飲み(注射器のようなスポイト)で
飲ませました。何度も何度ももっともっとと催促しながら飲んでいました。
うんちは自分でトイレに行き程よい硬さののもを沢山しました。
おしっこは外で、最初家の周りの景色をしばらく見た後、フッと深い溜息をし
それからゆっくり歩いて気に入った場所に大量にしました。
これで眠れるかな?と思っていましたが全く寝てくれず、私は身体さすることしかできませんでした。
「大丈夫、おかあさんがついてるよ。今日は病院がお休みだから明日行こうね。頑張ろうね。」
悟天はただ私を見つめるだけでした。
その後私は後ろ髪を引かれる思いで仕事へと向かいました。
家を出てから約20分後車を運転中に携帯がなりました。
ばぁばからでした。
「悟天が、悟天の具合が悪いから・・・あぁ~ダメだ」
急いで家へ戻り、力尽きた悟天を抱きしめました。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・」
ごめんねしか出てきません。
どんなに苦しかったことか、どんなに辛かったことか、最期に私が側にいなくて
どんなに寂しかったことか。
全ては私のせいです。私がもっと早くに・・・
私が出かけた後、ばぁばは悟天が少し落ち着いたようだったので側を離れたそうです。
数分後戻り悟天を見た時にはさっきよりもとても苦しそうににハァハァしたいたそうです。
慌てて身体をさすっていたら、舌がみるみる紫色に変わっていき
「今おかあさん呼ぶからね、頑張るんだよ」「今お母さん来るからね」
何度も声をかけ励まし私に電話をかけている最中に、覚悟を決めたかのように
苦しくていつも腹ばいで寝ていた身体を横にし、そのまま逝ってしまったそうです。
「やっと横になれたね、苦しかったね、ごめんね、ごめんね。」
目を開けない悟天の身体と頭を何度も何度もさすり続けました。
悟天は偉かった、とてもよく頑張りました。
最期まで苦しい表情は見せずに逝きました。
最期まで可愛い悟天のままでした。
まるで眠っているかのように、声をかけると目を覚ますんじゃないかと思うほど
安らかなお顔でした。

あれから数週間たった今ようやく、頑張った悟天を誉めてあげなくちゃならないという気持ちになり、恨んだり悔やむばかりでは悟天が悲しむだけだと思い、
そして償いの第一歩として闘病からのことを書かせていただきました。
悟天の死因は、いのちを縮めた原因は心臓の薬と利尿剤だと先生は
はっきりとおっしゃいました。そして、力になれなくて申し訳なかったと
電話の向こうから泣き声で言って下さいました。
このような結果になったけれど、最後にとても良い先生にめぐり会えたことは
悟天にとっても幸せだったと思います。

悟天、今までありがとう。
我が儘で甘えっ子だった悟天が最後に苦しい表情も見せずに頑張った、
沢山のことを気づかせ忠告してくれた。
心から感謝しなくては・・・
ごめんね悟天、おかあちゃまは頑張ります。
また生まれ変わった悟天に会えるまで・・・



2008年8月27日 午後12時09分
悟天は天に召され旅立ちました。


長年可愛がって頂いたごく一分の方達だけにはお知らせをさせて頂きましたが
ずっと更新もせず、心配して下さっているお友達にも早く報告をしなければと思いつつ
寂しさと悲しみと後悔と罪悪感から、写真も見ることができず
パソコンも開くことができませんでした。
今頃のご報告になり申しわけございません。

久しぶりの更新が、このようなご報告になるとは夢にも思っていませんでした。
我が家に迎えたのは12年前の8月29日、あと二日で丸12年というところでしたが
力尽き逝ってしまいました。
12年と40日の生涯でした。
7月までは元気でした。遊びにも行っていました。ですが・・・
約1ヶ月苦しんだ闘病生活でした。
すべては私のせいです。こんなことになるなんて・・・
まだ時折、後悔と罪悪感で身体が震え泣き叫びたくなり、
また消えてしまいたいという衝動にかられます。
しかし自分自身のため、なによりも私を一途に愛してくれた悟天のために
早く元気にならなければいけないと思い、み七日の今日にご報告をさせていただきました。

長い間仲良くしていただいた皆様、最近お友達になった皆様
悟天を可愛がっていただき、ありがとうございました。
心より御礼を申し上げます。
お花やメールを下さった皆様、ありがとうございました。
優しいお心遣いに感謝申し上げます。

また、以前コメントを頂きながらお返事をしておりませんでしたが
後日ご報告方々ブログにお邪魔しますね。

そしてブログですが・・・
更新していなかった日々のこと、悟天が急いで旅立った理由
アメリカン・コッカー・スパニエルについて、動物病院について
危険なお薬について、犬との生活、悟天との愛の日々(思い出)等々
思いついたことをつらつらと書き続けていこうと思います。

更新が滞ることもあると思いますが、これからもお付き合いくださいますよう
どうぞよろしくお願い致します。



最後に、悟天の安らかなお顔を見てあげて下さい。
トリミングできずに毛も伸び放題でしたが可愛いお顔で旅立ちました。

おやすみ・・・

お別れに来てくださったお友達全員が言ってくれた言葉
「ずーっと見ていたいね」
「亡くなっても癒されるね」

悟天は確かに天使でした。
そしてこれからは、地上から大きな翼を広げ私達を見守ってくれる。
悟天今までありがとう。
ずーっと愛しているよ。
ずーっと忘れないよ。
だから絶対帰ってきてね。
それまでに元気なおかあちゃまになってるからね。

愛しの我が子・・・

悟天との日々、とっても幸せだったよ。
今度はもっともっと幸せに暮らしたい。
今度はもっともっと幸せにしてあげる。
だから必ず戻ってきてね。
待ってるよ・・・
悟天元気にしています!

2月4日の月曜日に「小岩井雪まつり」に行ってきました♪

久しぶりのお出かけでハッスルハッスル。

2008小岩井雪まつり①


2008小岩井雪まつり②


2ヶ月ぶりのデジイチちゃん、操作の仕方を忘れ殆どが失敗!(>_<)
よさ気のお写真だけ抜粋してあと数枚、記事と合わせて
後日UPしますね。
↓の記事もまだだった^_^;

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プロフィール
HN:
チチ
性別:
女性
自己紹介:
☆悟天☆
アメリカン・コッカー・スパニエル
1996年7月17日生 ♂
へなちょこですがまだまだ元気!

☆チチ☆
悟天のおかあちゃま@管理人

摩訶不思議~?な雰囲気の
とぼけた親子です(*≧m≦*)
HPにも遊びに来てネ♪

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