山あり谷あり、笑いあり涙あり、そしてシリアスあり~の日記です
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昨日はお彼岸の中日ということもあり、またよ七日なので
新しいお花と大好きだったおやつを悟天にお供えしました。
悟天が亡くなってからは、思い出よりも後悔でいっぱいでした。
悟天への感謝の気持ちよりも自分の愚かさと誤診した病院の先生への
怒りと憎しみが日増しに高まり、その事を考えると身体は震え、
心臓がドキドキ胸を打ち、何度もパニックになりかけました。
もしかしたら、もう少し・・・数日?数週間?数ヶ月?数年?
長く生きれた命だったかもしれない。
優柔不断な性格の私のせいで・・・
誤診をしたあの先生のせいで・・・
悟天のお骨の前で毎日謝り続けました。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、悟天ごめんね・・・」
こえたえてくれる悟天の姿はなく、どうやって罪を償ったらいいのか
後悔の念でいっぱいでした。
まだお家にいる悟天、たまに「カツカツ」と歩く音や身震いする音
寝息や気配を感じます。
もうすぐ本当の旅立ちの日を迎えます。
それまでに教えてほしい、どうやって償えばいいのか。
悟天は7月までは本当に元気でした。
ただ、6月初め頃から日に3回程度の乾いた小さな咳をし始めました。
近くのいつも行っている病院で診てもらいましたが心臓も異常ないし
わからないと言われ数日が過ぎ、咳も日に1,2回程度になり
勝手にアレルギーかもしれないと思い込んでいました。
(そのころ私も酷いアレルギーから気管支炎をおこしていたのです。)
でも気になり、知り合いのペットショップの方に相談しました。
「これはケンネルコフ(気管支炎)だね、なかなか治らないから
病院で吸入してもらった方が早く治るよ」と言われ
去年の秋に手術をした病院で診てもらいました。
診断結果はやはり気管支炎とのことで、飲み薬とネブライザーで治療していたが
数週間経っても咳は止まらず頻度は少ないが小さかった咳が大きくなってきた。
心なしか元気もない、大好きなパンもチーズも食べなくなったし、階段を上がる時も
いつもなら一気に駆け上がるのにゆっくり一段づつしんどそうに上がる様子に不安を感じ
慌てて病院に駆け込んだ。
私は状態をすべて説明したうえで思っていることを話しました。
「気管支炎じゃなくてたとえば肺炎とか肺の病気じゃないですか?」
「最近犬の肺ガン(転移)が増えてるらしいですが癌じゃないですか?」
「もしそうなら、治らない病気なら苦しまないようにお願いします」
そのとき先生は少し笑いながら「食の変化は年齢的なもの、人間もそうでしょ。
気管支炎だから心配しないでいいですよ。気管支炎から肺炎になることはありませんから。」
「炎症が酷くて少し長引いてるようなので注射を打って薬を変えましょう」
その時は少しホッとして帰ってきましたが、後で調べたら気管支炎が長引くと
肺炎になるということがわかりました。後の祭りでしたが。
それからというもの、相変わらずチーズは食べなかったが食欲も落ちずに
お散歩もしていて、少し調子が戻ってきたかな?といった感じでした。
私のお休みの日は遊びに行きたいと催促もするほどで、お友達を誘って
ハーブガーデンへ行ったりもしました。(これが最後のお出かけになりました)
しかしその数日後、悟天は夜寝なくなったのです。
寝なくなったというより、苦しくて眠れないようでした。
これはおかしい、やっぱり気管支炎じゃない、と確信しまた病院へ行きました。
このとき既に気管支炎の治療を始めてから1ヶ月経過していました。
検査結果は僧帽弁閉鎖不全症とのことでした。
初期の状態ですがお薬をはじめましょうと言われドキッとし
「心臓のお薬は内臓に影響すると聞いていますが初期で飲んでもいいのですか?
副作用はありませんか?」と恐る恐る質問してみたところ先生はキッパリと
「大丈夫です!問題ありません!」とおっしゃったので信じて了解してしまいました。
これが間違いの元、誤診でした。
お薬は心臓の薬と利尿剤を処方され、飲んですぐに悟天に変化が現れました。
益々眠れなくなり、苦しそうにハァハァと息づかいは荒く、目は真っ赤に充血。
今まで見たこともないほど真っ赤な目でした。
何か違う、間違ってる、心の中でそう感じました。
不安でいっぱいになりながら病院へ向かいました。
今度は利尿剤の影響で腎臓に負担がかかり、脱水と炎症があるということで
抗生剤の注射を打ってもらい、その後2,3日は抗生剤が効いたのか
状態も落ち着き少し眠れるまでになっていました。
しかし・・・
ある時突然震えだし一瞬硬直したのです。
「悟天!悟天!」と声をかけ一生懸命身体をさすりました。
白目は異常なほどに赤く、チアノーゼも出てもうダメかと思いましたが
その後は何事もなかったようにいつもの悟天に戻りました。。
通院日にそのことを伝えたら「甘えてるんじゃないですか?」と笑われ
不信感をつのらせ病院を後にし、おやつを選んで食べるようになっていた悟天のために
美味しい食いつきの良いビスケットを買おうとショップへ寄りました。
すると悟天の様子を見たショップの社長さんが異常に気づき
心臓ではないかもしれないから違う病院に行ってみたらどうかと
病院を紹介してくださいました。
その頃の私は仕事がとても忙しく時間にも余裕がない状況で
転院しようか迷っているうちに日はどんどん過ぎていきました。
そして悟天の状態が急変しました。
苦しくて睡眠が時間3時間ほどになり、急激に食欲も落ち下痢になったのです。
病院の先生は腎臓も悪いと言い、お薬が増えただけで、抗生剤は打ってくれず・・・
確かに悟天のBUNの数値はここ2年ぐらいちょっと高くなったり正常値に戻ったりを
繰り返していましたが、その他は正常で問題なく年齢のせいと言われていた。
実際このときの検査結果もBUNだけが高くて尿検査も正常でした。
腎臓の薬を飲んでも全く良くならず、すぐにまた病院へ。
「先生、利尿剤と心臓のお薬が影響しているんじゃないですか?」と
思い切って聞いてみました。
すると先生は「心臓と腎臓が悪いのは別のものです。利尿剤は肺水腫を防ぐため。
大丈夫だから。このままで、これでいきましょう」としか言ってくれませんでした。
ここに書いている以外にも何度も通院し何度も訴えたのに、あんなに訴えたのに
これ以上何も検査をしてくれない、やっぱり病院を変えたほうがいいかもしれない。
いつ行こうかと考えているうちに悟天は一切ものを食べなくなり、そして激しい下痢(血便)。
歩くのもフラフラです。
サーっと血の気が引きました。このままでは悟天は死んじゃう。
慌てて高速を飛ばして紹介された病院に行きました。
(気管支炎の治療を始めてから1ヵ月半経過)
これまでの経過と症状、処方されている薬のこと、思っていることや考えを全て話しました。
そして検査をして頂きました。
悟天の体調を気遣いながらのとても優しく慎重で丁寧な診察と検査でした。
この時どんな結果が出ても悟天がこれ以上苦しまなければそれで・・・
と覚悟を決めていました。
検査の結果、肺膿瘍と診断されました。
肺炎を長い間ほってるおいたため膿が溜まったのだそうです。
あぁーやっぱり肺だった、もっと早く来れば良かった。
診察台の上の悟天を撫でながら「ごめんね、ごめんね、おかあさんのせいだね」
何度も謝りました。
心臓は確かに僧帽弁閉鎖不全症だったようですが初期の初期で
雑音もごくわずか、聞こえるか聞こえないかの程度で肥大もなく
お薬を飲むまでもないまだ元気な状態だったそうです。
苦しくて眠れないのは肺の膿のせいもありましたが、それよりも飲まなくてもよい
心臓の薬を飲んだことによるものだそうです。
初期症状に使う薬ではない、強い薬でした。
そして何も食べられなくなったのは、強い心臓の薬と飲ませなくてもよい利尿剤の影響で
もともと弱っていた腎臓に負担がかかり数値が上がったためのものでした。
その日から利尿剤は中止し、抗生剤を含む数種類のお薬に切り替えました。
ただ一度飲み始めた心臓の薬は急に止めることはできませんでした。
でも少し希望の光が見えたような気がしました。
栄養を摂らなければいけないので無理にでも食事を摂らせて下さいと言われ
流動食を作り食べさせました。
朝早く起きて仕事に行く前に高速を使い通院しました。
数日後、悟天は眠れるようになり、日中はチャカチャカと動き、目の充血も幾分良くなり
おやつもご飯も食べられるまでに回復、治るかもしれないと期待していました。
しかしその思いも束の間、悟天はまた何も食べられなくなり、通院日より
一日早く病院で診てもらいました。
BUNの数値が異常に高くなっていた。
これも心臓の薬の影響ということで「早く薬を止めなければいけない。
方法を考えましょう。」と言われ、早急に考えてくれることになりました。
そして、状態がもう少し良くなったら肺炎になった原因を検査しましょうととおっしゃった。
実は膿瘍の他に癌の疑いもありました。
膿の奥に白い影が薄っすらとあったのです。
これが膿か癌かわからず、膿の影が薄くならないと調べられない。
悟天は昨年の11月にお尻にできた腫瘍の摘出手術をしています。
その時にこの手の腫瘍は良性なので検査はしませんと言われました。
あの時検査をしていれば・・・もしかしたら。
肺に転移した癌だったかもしれません。
咳をし始めたのが手術から丁度6ヶ月後。
今となっては推測にすぎませんが・・・
その日は、症状を良くするために少し薬を変更し1錠追加されて様子を見ることになりました。
点滴は肺に障害があるため毛細血管に影響するということで打てませんでした。
夜は12時頃まで苦しそうに起きていましたがその後病院に行って疲れたのか
眠ってくれました。しかし、ぐったりといった感じでした。
次の日は、朝から苦しそうでしたが、私が仕事にいた後はずっと眠っていたようです。
夜はなかなか寝てくれませんでした。
私の布団に何度も来て寝たかと思うとまた移動し、寝たり起きたりの繰り返し。
新しい薬になれていないからかな?と考えながら、私も疲れていたので
隣りで寝ている悟天をさすりながらつい眠ってしまい、ハッと気づいた時は午前1時。
やばい!急いでうつらうつらしていた悟天に夜のお薬を飲ませ、しばらく様子を見ていたが
我慢しきれずに寝てしまいました。悟天苦しくて心細かったよね。ごめんね。
朝は早く起きていました。あまりグッスリ眠れなかったようです。
やはり苦しそう、いつもと少し様子が違っていました。
歩き方がおかしい、何をするにも苦しそう、それでも私から離れず
トボトボフラフラと後を追ってきました。ずっと大きな瞳で私を見つめていました。
お水も自力で飲めないようだったので赤ちゃん用の薬飲み(注射器のようなスポイト)で
飲ませました。何度も何度ももっともっとと催促しながら飲んでいました。
うんちは自分でトイレに行き程よい硬さののもを沢山しました。
おしっこは外で、最初家の周りの景色をしばらく見た後、フッと深い溜息をし
それからゆっくり歩いて気に入った場所に大量にしました。
これで眠れるかな?と思っていましたが全く寝てくれず、私は身体さすることしかできませんでした。
「大丈夫、おかあさんがついてるよ。今日は病院がお休みだから明日行こうね。頑張ろうね。」
悟天はただ私を見つめるだけでした。
その後私は後ろ髪を引かれる思いで仕事へと向かいました。
家を出てから約20分後車を運転中に携帯がなりました。
ばぁばからでした。
「悟天が、悟天の具合が悪いから・・・あぁ~ダメだ」
急いで家へ戻り、力尽きた悟天を抱きしめました。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・」
ごめんねしか出てきません。
どんなに苦しかったことか、どんなに辛かったことか、最期に私が側にいなくて
どんなに寂しかったことか。
全ては私のせいです。私がもっと早くに・・・
私が出かけた後、ばぁばは悟天が少し落ち着いたようだったので側を離れたそうです。
数分後戻り悟天を見た時にはさっきよりもとても苦しそうににハァハァしたいたそうです。
慌てて身体をさすっていたら、舌がみるみる紫色に変わっていき
「今おかあさん呼ぶからね、頑張るんだよ」「今お母さん来るからね」
何度も声をかけ励まし私に電話をかけている最中に、覚悟を決めたかのように
苦しくていつも腹ばいで寝ていた身体を横にし、そのまま逝ってしまったそうです。
「やっと横になれたね、苦しかったね、ごめんね、ごめんね。」
目を開けない悟天の身体と頭を何度も何度もさすり続けました。
悟天は偉かった、とてもよく頑張りました。
最期まで苦しい表情は見せずに逝きました。
最期まで可愛い悟天のままでした。
まるで眠っているかのように、声をかけると目を覚ますんじゃないかと思うほど
安らかなお顔でした。
あれから数週間たった今ようやく、頑張った悟天を誉めてあげなくちゃならないという気持ちになり、恨んだり悔やむばかりでは悟天が悲しむだけだと思い、
そして償いの第一歩として闘病からのことを書かせていただきました。
悟天の死因は、いのちを縮めた原因は心臓の薬と利尿剤だと先生は
はっきりとおっしゃいました。そして、力になれなくて申し訳なかったと
電話の向こうから泣き声で言って下さいました。
このような結果になったけれど、最後にとても良い先生にめぐり会えたことは
悟天にとっても幸せだったと思います。
悟天、今までありがとう。
我が儘で甘えっ子だった悟天が最後に苦しい表情も見せずに頑張った、
沢山のことを気づかせ忠告してくれた。
心から感謝しなくては・・・
ごめんね悟天、おかあちゃまは頑張ります。
また生まれ変わった悟天に会えるまで・・・
新しいお花と大好きだったおやつを悟天にお供えしました。
悟天が亡くなってからは、思い出よりも後悔でいっぱいでした。
悟天への感謝の気持ちよりも自分の愚かさと誤診した病院の先生への
怒りと憎しみが日増しに高まり、その事を考えると身体は震え、
心臓がドキドキ胸を打ち、何度もパニックになりかけました。
もしかしたら、もう少し・・・数日?数週間?数ヶ月?数年?
長く生きれた命だったかもしれない。
優柔不断な性格の私のせいで・・・
誤診をしたあの先生のせいで・・・
悟天のお骨の前で毎日謝り続けました。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、悟天ごめんね・・・」
こえたえてくれる悟天の姿はなく、どうやって罪を償ったらいいのか
後悔の念でいっぱいでした。
まだお家にいる悟天、たまに「カツカツ」と歩く音や身震いする音
寝息や気配を感じます。
もうすぐ本当の旅立ちの日を迎えます。
それまでに教えてほしい、どうやって償えばいいのか。
悟天は7月までは本当に元気でした。
ただ、6月初め頃から日に3回程度の乾いた小さな咳をし始めました。
近くのいつも行っている病院で診てもらいましたが心臓も異常ないし
わからないと言われ数日が過ぎ、咳も日に1,2回程度になり
勝手にアレルギーかもしれないと思い込んでいました。
(そのころ私も酷いアレルギーから気管支炎をおこしていたのです。)
でも気になり、知り合いのペットショップの方に相談しました。
「これはケンネルコフ(気管支炎)だね、なかなか治らないから
病院で吸入してもらった方が早く治るよ」と言われ
去年の秋に手術をした病院で診てもらいました。
診断結果はやはり気管支炎とのことで、飲み薬とネブライザーで治療していたが
数週間経っても咳は止まらず頻度は少ないが小さかった咳が大きくなってきた。
心なしか元気もない、大好きなパンもチーズも食べなくなったし、階段を上がる時も
いつもなら一気に駆け上がるのにゆっくり一段づつしんどそうに上がる様子に不安を感じ
慌てて病院に駆け込んだ。
私は状態をすべて説明したうえで思っていることを話しました。
「気管支炎じゃなくてたとえば肺炎とか肺の病気じゃないですか?」
「最近犬の肺ガン(転移)が増えてるらしいですが癌じゃないですか?」
「もしそうなら、治らない病気なら苦しまないようにお願いします」
そのとき先生は少し笑いながら「食の変化は年齢的なもの、人間もそうでしょ。
気管支炎だから心配しないでいいですよ。気管支炎から肺炎になることはありませんから。」
「炎症が酷くて少し長引いてるようなので注射を打って薬を変えましょう」
その時は少しホッとして帰ってきましたが、後で調べたら気管支炎が長引くと
肺炎になるということがわかりました。後の祭りでしたが。
それからというもの、相変わらずチーズは食べなかったが食欲も落ちずに
お散歩もしていて、少し調子が戻ってきたかな?といった感じでした。
私のお休みの日は遊びに行きたいと催促もするほどで、お友達を誘って
ハーブガーデンへ行ったりもしました。(これが最後のお出かけになりました)
しかしその数日後、悟天は夜寝なくなったのです。
寝なくなったというより、苦しくて眠れないようでした。
これはおかしい、やっぱり気管支炎じゃない、と確信しまた病院へ行きました。
このとき既に気管支炎の治療を始めてから1ヶ月経過していました。
検査結果は僧帽弁閉鎖不全症とのことでした。
初期の状態ですがお薬をはじめましょうと言われドキッとし
「心臓のお薬は内臓に影響すると聞いていますが初期で飲んでもいいのですか?
副作用はありませんか?」と恐る恐る質問してみたところ先生はキッパリと
「大丈夫です!問題ありません!」とおっしゃったので信じて了解してしまいました。
これが間違いの元、誤診でした。
お薬は心臓の薬と利尿剤を処方され、飲んですぐに悟天に変化が現れました。
益々眠れなくなり、苦しそうにハァハァと息づかいは荒く、目は真っ赤に充血。
今まで見たこともないほど真っ赤な目でした。
何か違う、間違ってる、心の中でそう感じました。
不安でいっぱいになりながら病院へ向かいました。
今度は利尿剤の影響で腎臓に負担がかかり、脱水と炎症があるということで
抗生剤の注射を打ってもらい、その後2,3日は抗生剤が効いたのか
状態も落ち着き少し眠れるまでになっていました。
しかし・・・
ある時突然震えだし一瞬硬直したのです。
「悟天!悟天!」と声をかけ一生懸命身体をさすりました。
白目は異常なほどに赤く、チアノーゼも出てもうダメかと思いましたが
その後は何事もなかったようにいつもの悟天に戻りました。。
通院日にそのことを伝えたら「甘えてるんじゃないですか?」と笑われ
不信感をつのらせ病院を後にし、おやつを選んで食べるようになっていた悟天のために
美味しい食いつきの良いビスケットを買おうとショップへ寄りました。
すると悟天の様子を見たショップの社長さんが異常に気づき
心臓ではないかもしれないから違う病院に行ってみたらどうかと
病院を紹介してくださいました。
その頃の私は仕事がとても忙しく時間にも余裕がない状況で
転院しようか迷っているうちに日はどんどん過ぎていきました。
そして悟天の状態が急変しました。
苦しくて睡眠が時間3時間ほどになり、急激に食欲も落ち下痢になったのです。
病院の先生は腎臓も悪いと言い、お薬が増えただけで、抗生剤は打ってくれず・・・
確かに悟天のBUNの数値はここ2年ぐらいちょっと高くなったり正常値に戻ったりを
繰り返していましたが、その他は正常で問題なく年齢のせいと言われていた。
実際このときの検査結果もBUNだけが高くて尿検査も正常でした。
腎臓の薬を飲んでも全く良くならず、すぐにまた病院へ。
「先生、利尿剤と心臓のお薬が影響しているんじゃないですか?」と
思い切って聞いてみました。
すると先生は「心臓と腎臓が悪いのは別のものです。利尿剤は肺水腫を防ぐため。
大丈夫だから。このままで、これでいきましょう」としか言ってくれませんでした。
ここに書いている以外にも何度も通院し何度も訴えたのに、あんなに訴えたのに
これ以上何も検査をしてくれない、やっぱり病院を変えたほうがいいかもしれない。
いつ行こうかと考えているうちに悟天は一切ものを食べなくなり、そして激しい下痢(血便)。
歩くのもフラフラです。
サーっと血の気が引きました。このままでは悟天は死んじゃう。
慌てて高速を飛ばして紹介された病院に行きました。
(気管支炎の治療を始めてから1ヵ月半経過)
これまでの経過と症状、処方されている薬のこと、思っていることや考えを全て話しました。
そして検査をして頂きました。
悟天の体調を気遣いながらのとても優しく慎重で丁寧な診察と検査でした。
この時どんな結果が出ても悟天がこれ以上苦しまなければそれで・・・
と覚悟を決めていました。
検査の結果、肺膿瘍と診断されました。
肺炎を長い間ほってるおいたため膿が溜まったのだそうです。
あぁーやっぱり肺だった、もっと早く来れば良かった。
診察台の上の悟天を撫でながら「ごめんね、ごめんね、おかあさんのせいだね」
何度も謝りました。
心臓は確かに僧帽弁閉鎖不全症だったようですが初期の初期で
雑音もごくわずか、聞こえるか聞こえないかの程度で肥大もなく
お薬を飲むまでもないまだ元気な状態だったそうです。
苦しくて眠れないのは肺の膿のせいもありましたが、それよりも飲まなくてもよい
心臓の薬を飲んだことによるものだそうです。
初期症状に使う薬ではない、強い薬でした。
そして何も食べられなくなったのは、強い心臓の薬と飲ませなくてもよい利尿剤の影響で
もともと弱っていた腎臓に負担がかかり数値が上がったためのものでした。
その日から利尿剤は中止し、抗生剤を含む数種類のお薬に切り替えました。
ただ一度飲み始めた心臓の薬は急に止めることはできませんでした。
でも少し希望の光が見えたような気がしました。
栄養を摂らなければいけないので無理にでも食事を摂らせて下さいと言われ
流動食を作り食べさせました。
朝早く起きて仕事に行く前に高速を使い通院しました。
数日後、悟天は眠れるようになり、日中はチャカチャカと動き、目の充血も幾分良くなり
おやつもご飯も食べられるまでに回復、治るかもしれないと期待していました。
しかしその思いも束の間、悟天はまた何も食べられなくなり、通院日より
一日早く病院で診てもらいました。
BUNの数値が異常に高くなっていた。
これも心臓の薬の影響ということで「早く薬を止めなければいけない。
方法を考えましょう。」と言われ、早急に考えてくれることになりました。
そして、状態がもう少し良くなったら肺炎になった原因を検査しましょうととおっしゃった。
実は膿瘍の他に癌の疑いもありました。
膿の奥に白い影が薄っすらとあったのです。
これが膿か癌かわからず、膿の影が薄くならないと調べられない。
悟天は昨年の11月にお尻にできた腫瘍の摘出手術をしています。
その時にこの手の腫瘍は良性なので検査はしませんと言われました。
あの時検査をしていれば・・・もしかしたら。
肺に転移した癌だったかもしれません。
咳をし始めたのが手術から丁度6ヶ月後。
今となっては推測にすぎませんが・・・
その日は、症状を良くするために少し薬を変更し1錠追加されて様子を見ることになりました。
点滴は肺に障害があるため毛細血管に影響するということで打てませんでした。
夜は12時頃まで苦しそうに起きていましたがその後病院に行って疲れたのか
眠ってくれました。しかし、ぐったりといった感じでした。
次の日は、朝から苦しそうでしたが、私が仕事にいた後はずっと眠っていたようです。
夜はなかなか寝てくれませんでした。
私の布団に何度も来て寝たかと思うとまた移動し、寝たり起きたりの繰り返し。
新しい薬になれていないからかな?と考えながら、私も疲れていたので
隣りで寝ている悟天をさすりながらつい眠ってしまい、ハッと気づいた時は午前1時。
やばい!急いでうつらうつらしていた悟天に夜のお薬を飲ませ、しばらく様子を見ていたが
我慢しきれずに寝てしまいました。悟天苦しくて心細かったよね。ごめんね。
朝は早く起きていました。あまりグッスリ眠れなかったようです。
やはり苦しそう、いつもと少し様子が違っていました。
歩き方がおかしい、何をするにも苦しそう、それでも私から離れず
トボトボフラフラと後を追ってきました。ずっと大きな瞳で私を見つめていました。
お水も自力で飲めないようだったので赤ちゃん用の薬飲み(注射器のようなスポイト)で
飲ませました。何度も何度ももっともっとと催促しながら飲んでいました。
うんちは自分でトイレに行き程よい硬さののもを沢山しました。
おしっこは外で、最初家の周りの景色をしばらく見た後、フッと深い溜息をし
それからゆっくり歩いて気に入った場所に大量にしました。
これで眠れるかな?と思っていましたが全く寝てくれず、私は身体さすることしかできませんでした。
「大丈夫、おかあさんがついてるよ。今日は病院がお休みだから明日行こうね。頑張ろうね。」
悟天はただ私を見つめるだけでした。
その後私は後ろ髪を引かれる思いで仕事へと向かいました。
家を出てから約20分後車を運転中に携帯がなりました。
ばぁばからでした。
「悟天が、悟天の具合が悪いから・・・あぁ~ダメだ」
急いで家へ戻り、力尽きた悟天を抱きしめました。
「ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね、ごめんね・・・」
ごめんねしか出てきません。
どんなに苦しかったことか、どんなに辛かったことか、最期に私が側にいなくて
どんなに寂しかったことか。
全ては私のせいです。私がもっと早くに・・・
私が出かけた後、ばぁばは悟天が少し落ち着いたようだったので側を離れたそうです。
数分後戻り悟天を見た時にはさっきよりもとても苦しそうににハァハァしたいたそうです。
慌てて身体をさすっていたら、舌がみるみる紫色に変わっていき
「今おかあさん呼ぶからね、頑張るんだよ」「今お母さん来るからね」
何度も声をかけ励まし私に電話をかけている最中に、覚悟を決めたかのように
苦しくていつも腹ばいで寝ていた身体を横にし、そのまま逝ってしまったそうです。
「やっと横になれたね、苦しかったね、ごめんね、ごめんね。」
目を開けない悟天の身体と頭を何度も何度もさすり続けました。
悟天は偉かった、とてもよく頑張りました。
最期まで苦しい表情は見せずに逝きました。
最期まで可愛い悟天のままでした。
まるで眠っているかのように、声をかけると目を覚ますんじゃないかと思うほど
安らかなお顔でした。
あれから数週間たった今ようやく、頑張った悟天を誉めてあげなくちゃならないという気持ちになり、恨んだり悔やむばかりでは悟天が悲しむだけだと思い、
そして償いの第一歩として闘病からのことを書かせていただきました。
悟天の死因は、いのちを縮めた原因は心臓の薬と利尿剤だと先生は
はっきりとおっしゃいました。そして、力になれなくて申し訳なかったと
電話の向こうから泣き声で言って下さいました。
このような結果になったけれど、最後にとても良い先生にめぐり会えたことは
悟天にとっても幸せだったと思います。
悟天、今までありがとう。
我が儘で甘えっ子だった悟天が最後に苦しい表情も見せずに頑張った、
沢山のことを気づかせ忠告してくれた。
心から感謝しなくては・・・
ごめんね悟天、おかあちゃまは頑張ります。
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